ボジョレー

 

基本的に人に何かされるということは、その人に原因があると思って差し支えない。たしかになんとなく嫌いだからという理由でいじめなどが発生する場合があるのは承知、原因は自分にある。それが行為の正当化とはなりえないが。

 

ただ、「行為の正当化たりえない」という権利を主張するにはまず義務を果たすべきである。義務を果たしていない以上、帰責事由はおのれに帰ってくる。

 

職場にもどうやら見放されている。そこにいるだけで自分の胸部に鉛を注がれたような絶望が襲い掛かる。職場の廊下で、一歩踏み出すごとに心の中で動悸が響き渡り、廊下の空間に反響して自分の鼓膜、耳小骨、うずまき管の中の溶液を不快に振動させ脳を侵食していくような、そんな錯覚に襲われる。

 

仕事をしているときの自分は、全く自分らしさがない、職場のトイレの鏡を見るとそこには蒼白・無表情でまるで仮面を被ったな物体がそこにある。職場というのは学校の深めのプールのようなもので、バスコードを入力して入ることは足のつかないプールに突き落とされるよな絶望を毎朝抱いている。半分窒息しかけつつも何とか顔面を、鼻を、口を水面に出そうと必死にもがく。そこにどんな自分らしさがあるのであろうか。

 

僕は仕事を恐れている、わずかばかりの才能を磨こうともせず、ただただ漫然と株式会社の人間を装っている。あまりのむなしさに獣になり咆哮してしまいそうである。

 

唯一楽しいのは顧客と仲良くなって話しているときである。その時は間違いなく職場にいつつも自分の空間を作り、ありのままの自分でいるような錯覚を覚える。プールの一角にLCLのみが満ちた空間を作り出し、母体の中にいるような、ありのままの、お客さんが興味を持ち楽しんで聞いてくれる、そしてお客さんの為になる何かを与えることに楽しさを感じる。蜘蛛の糸のようである。

 

でも、その時間が終われば、また現実が襲ってくる。目を背けても、襲ってくる、この職場という恐怖、絶望、焦燥、勘定(感情)という巨人に踏みつぶされてしまう。

 

自分に罪がないといえば嘘である、だがそれに必要以上の罰を与えられる。罰により罪悪感が増す。赤と黒、赤は血、黒は絶望。最近購入したボジョレーを思わず床に叩きつけたくなる。何の罪もないワインに突然襲ってくる、床が血が飛び散るがごとき不条理の様を見てワインに自分を投影せざるをえないその環境を欲してやまない。

 

ま、せいぜいワインのガラス片を血に染め、床と心をワインと血の赤のカクテルで赤く染め上げることのないように過ごしましょう。どうせ、「ワイシャツを赤に染まること」でこの独房から解放されても、地獄という独房に移動するに過ぎないのであるから。

 

Fin

 

 

 

追伸

ストレステスト43点でした。0に近い勝負で誰か勝負しませんか?