幻今は あらじと我あれは 思へるを

 

口から紫煙という名の雲を侍らせる。

 

人は雲に身を任せているときのみ、行動する必要性から解放される。強迫観念から解放される一瞬の癒しが、明日への行動への原動力となる。

 

砂上の楼閣の如き日常に呑まれることなく、ありがとうを屈託のない笑顔とともに言える日が、好きなモノを堂々と好きと言いそれを他者本位で行動に移せるか、という永遠の命題に放浪されながら、

 

今日もまた霞と化す紫煙にあこがれを乗せて、憂いとともに放つのである。

 

如 月 の

粉 雪 我 が 手

掴 め ざ る

浮 雲 如 く

心 有 ら ざ り